home > boku-to > ぼくとゆうた vol.01

boku-to

ぼくとゆうた vol.01

第4回Rootsを終えて

Pocket

この前のRoots、結構いいテーマだしいい本が出てきたと思ったんだけど、僕的には僕が話題に出すまで「読解力」のほうの話が全然なくて、AIの話ばかりでだいぶ残念だった。 ゆうた的にはそこら辺含めてどんな感じの会だったの?結果的な感想としては。

そうですね、運営側としても盛り上がるまでに時間がかかった印象がありますね。

あの本は、AIと読解力の二軸で構成されているのに身近なAIについての話題が多かったと思います。

もちろん、ファシリテーターをしていた僕の力不足ってことも承知しているのですが

読解力というものについて、触れにくい雰囲気」があったと思います。

そもそも、読解力をきちんと定義づけして説明できなかったのかなって。

だから、結果として、話しやすいAIの方に話題が寄ったのかなと。

定義できないと話せないなら読解力は定義しにくいから話題になり得ないのかもね…

あと、AIが話しやすい話題として認定されるのも凄いと思った。 僕あの本読んでからAIって安易に言いにくくなったむしろ。

定義、というか、自分の中で言語化できるかって感じですが。

その点も、共感します。

あの本を読んで如何にAIが遠い存在なのかってのがわかった気がします。

なんだろう、未来の話をするにしても遠い未来の「AIとどう共存するか」ではなく、「読解力をどう考えるか」みたいな今よりちょっと先の未来について議論したかったですね。

その点でいうと議論で出た、言葉の意味は実体験がないと理解できないという話は興味深かったです(^^)

「遠い」未来か「近い」未来かみたいな話なのかな。AIは、本当に伝えたい読解力の危機について、それを彩る事例のようなものであると思ってた。だから、むしろ僕の中では「表層的」か「深層的」かみたいな区別かも。

筆者も別にAIについて書きたいと思ってないだろうから、そこで議論の深まりが停滞した感が僕の中にあって、それでなんとなく不満足な感じなのかも。

「表層的」と「深層的」、たしかにそうですね。偶然、今文科省の方と大学、社会人、現役の先生が一堂に会するセッションイベントに来てるんですが、やっぱりAIの話題がたくさん出てきてます。

その中で文科省の方が基調講演をする機会があったんですが、その方著者の新井さんと交流があると仰ってたのにバンバンAIって言葉を使ってて、衝撃でした。

そして、それを聞いた社会人、現役の先生たちがザワザワしだして「AIってやばいな」みたいな雰囲気が会場を包んだんです。

「表層的」なこの話題がかなり多くの人に誤解されて伝わっていくシーンを目の当たりにしてしまって。それほど踊らされやすい話題なんだなって改めて感じました。

それはなかなか面白い場面を目撃したね笑

怖かったです。。。

なんでそうなっちゃうのかね

なんでなんでしょ。

うーん、やっぱりAIって聞くと仕組みが分からないものってイメージが強くて、未知のものに対する恐怖や不安を抱く人が多いんですかね。 そんな次元の話でもないのかな。

そこまではそれでもいい気がするけど、そこでなんで知ってみようとか学んでみようってならないのだろう。

いや、やめよう、なんか愚痴っぽい感じになってきた笑 とりあえず今回はこんな感じかな、何か言い残したこととかある?

うむー

んー、そうですね、今回はこんな感じですかね!

ありがとう! じゃあまたなんかあったらで(^^)