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失敗の質

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失敗は成功のもと。僕はこの言葉を周りの大人に言われながら、失敗だらけの人生を歩んできました。

成功の数と失敗の数、きちんと数えているわけではないですが、控えめに見積もっても1対100くらいの比率だと思います。

1回の成功のために100回は失敗していると思います。子供の頃に比べたらだいぶ減りましたが、今でもなんだかんだ同じくらいの比率で常に生きているような気がします。


それでも、なんとかこうやって生きていますし、自分の存在を否定したくなるようなこともありません。

短期的に落ち込むことや事象に対して「どうにでもなれ!」と思うことは多々ありますが、それが自分に向いて「僕なんて消えてしまえ!」となることは全くありません。

むしろ「生きろ、僕」と思います。


でも、支援者としての僕は偉そうに「お子さんが失敗体験をし過ぎないように…」などと言っています。それがなかなかしっくりきていません。

僕はむしろ失敗にこそ育てられたのではないかと思いますし、ずっと成功だけで生きていけるのかしらとも思っています。仮に多少の失敗を想定するとしても、少ない頻度の失敗に物凄く敏感になってしまうのでは、と思います。

皮が厚ければ多少の痛みにも耐えられる、とまでいかないまでも、ある程度の失敗はむしろ機会保証したほうがいいのではないかとさえ思います。


実際のところ、どうなんでしょうね。その、成功と失敗のバランスと言いますか、失敗の出現度合いといいますか、そういったものはどの塩梅がよいのでしょう。

結局、「人によるよね」といういつものオチに吸い込まれてしまいそうな話で不本意ですが、それぞれの塩梅を見極めたうえで、ある程度失敗も必要なのではないかと思います。


質に目を向けてみるというのもいいかもしれません。失敗の質。質の高い失敗を目指すのです。

質の高い失敗を定義するとしたら、「失敗したという実感と、どうしたら成功するかなという改善への意欲を高めつつ、その場でのダメージが少ないもの」といった感じでしょうか。

僕がこれまで多くの失敗をしたのに、何とか生きてこれていて、自分の存在を否定することもせずにいられるのは、質の高い失敗が多かったからなのかもしれません。


そういう意味では、不用意にお子さんに失敗体験をさせないようにするというのは、方針としては間違っていないですね。

低質でザラッザラの失敗をしてしまったら、ゴリゴリ表皮がえぐられて痛い思いをしますもんね。傷口は荒いと痕が残りますし。

そう考えると、成功に思いを馳せるのも大事ですが、それと同じかそれ以上に、失敗にも目を向ける必要がありそうです。

いかに質の高い失敗に出会っていくか、出会わせていくか、そういった論点での教育、子育て論議をしてみたいです。