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主観を大事にすること

ここ最近、また〈主観ブーム〉が来ている。僕に主観ブームが来るのは、客観に疲弊したときがほとんどである。観察したり、証言したり、確認したりするときに周囲からの「客観的であれ」という要求が高まると、僕はいじわるな気持ちになって主観のほうに逃げていく。初動はいじわるな気持ちでも、主観のほうに逃げていくのにはそれなりの理由がある。


そもそも主観とはなにで、客観とは何か、というところをここでは語らない。そこから始めてしまうと、おそらく僕も、これをいま読んでくださっているあなたも、かなりの時間をとられたうえでモヤモヤした気持ちが残るだけになってしまうからである。ここではざっくりと、主観は〈ある一人の見方や考え方〉で客観は〈特定の誰かにとらわれない見方や考え方〉くらいの認識で出発する。といいつつも、すでにこの客観の定義が怪しい。冒頭に述べたように、僕は主観に逃げがちな人間で、そもそも客観というものの存在を疑っている立場にいるので、客観の定義をうまく表現しきれない。


この、客観の定義をうまく表現しきれないことこそ、僕が主観に逃げる第一の理由である。口で言うのも、それっぽく使うのも簡単だけれど、実は「あなたの言う客観とはなんですか?」に対して説明責任を果たしきるのは相当難しい。あるとき、友人が「家から駅は遠い?」と聞いてきたので僕は「まあ、近いか遠いかで言われたら遠いほうかな」と答えた。すると、その友人が「もっと客観的な指標で教えてよ、時間とか、距離とか」と返してきた。僕はその場は「時間だと毎分80mの徒歩で15分くらい、だから距離は1.2kmくらいかな」と答えた。でも、この「分(時間)」や「メートル(距離)」だって、いつの時代かにどっかの誰か、またはなんらかの団体が「こうしよう」と決めたものであって、その個人ないし集団が形成した主観を客観と称しているだけである。だから、僕がいまから「僕の足のながさ3つ分を1コバとする」と定義して、家から駅までは45コバだと言うのも同じこととして扱えるのである、今後この単位が世界的に使われれば。現時点でのメートルとコバの違いは、世界全体での浸透具合、使用人口だけである。


なにが言いたいのか分からなくなってきたので強引に戻すと、客観というのは僕からすれば「より多くの主観が集まったもの」に過ぎず、その意味で主観と客観は分断されえない。だから、主観だけが排除されるようなことはありえず、むしろそんなことをしてしまったら客観だって大事な要素を失うことになってしまう。日々の生活のなかで、主観を前面に出して主張したり物事を考えたりすることが冷やかしの対象になっている場面をよく見る。そもそもどっちがいいか悪いかという話ではなく、状況によって使い分けるようなものであるし、どんな状況においても程度の差こそあれ主観と客観のどちらも有効であると思っている。いじわるな言い方をするなら、客観の持つ力を過信している人ほど短絡的で、自分ではない何かに判断の根拠や責任を転嫁したいのだろうとすら思っている。


どうしても客観という言葉を使いたいのであれば、むしろそういう人こそ、まずはじっくりと主観というものに向き合ってみてほしいと思う。もちろん、僕も同様に。