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当たり前がどーでも良くなるスキに

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この局面をうまく、よく、乗り切っていけたらと考えています。この局面というのは言わずもがな、件のウイルスが猛威を払っている状況のことを指しております。長期戦であることはもう避けられませんね、疑ってもいませんが。


SNS等では、「自粛疲れ」や「同調圧力」などの様々な言葉が人々の心を疲弊させています。頑張って乗り越えようぜと号令をかけてくれるのは嬉しいですが、それも「みんなで」とか「国民が一致団結して」みたいな言葉で飾られてしまうと、なかなかしんどいものがあります。

結局、隣人の顔色うかがうようなことに時間と労力を割いてしまうことになりそうです。


少し考えていることがあります。僕は医療の専門家でも疫学専攻でもありませんから、そっちのことは全く分かりません。正しいと思える資料を見て学ぶだけです。そうではなくて、システム的な観点で考えていることがあります。機械とかそういうものではなく、コミュニティにおける「当たり前」をシステムと呼んでいます。

この「当たり前」を、どさくさに紛れて色々と作り変えてしまおうと思っています。


仕事においてそれが顕著です。僕は普段、通所型の施設で直接支援サービスの管理、運営をおこなっています。サービスの「当たり前」は《通所》してもらって《直接施設で》支援を提供することです。通所型支援とわざわざ言っているので、普段この「当たり前」にあえて正面からダウトをかけていく人はいません。厳密に言えば、ダウトをかけても、「だったら他の形式の支援を採択すれば良いのでは?」と言われて横にスライドされてお終いです。でも今は違います、誰も横にスライドできません。だって、通所ができなくなるかもしれないのだから。「当たり前」側の逃げ道が無くなったのです。そして、作り変えが起ころうとしています(既に小さくは起こっています)。

通所支援の施設で、通所しない支援が実施されるようになったのです。


「これは「当たり前」なのかって?そんなこと言ってられる状況じゃないでしょう」という声が増えています。これまで闇雲に否定されて検討段階にすらあがらなかった様々なアイディアたちが、生き生きと世の中に変化をもたらしていくでしょう。というより、そうなるように仕向けていきたいと思っています。開き直りでもなんでもいいから、この際、今まで諦めていたB案以降の選択肢に思い切って飛び込んでみましょう。どうせA案に固執したところで、たかが知れていますから。