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他人の本性に吐き気

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つい最近、面白い電話がかかってきた。同業他社で働いている友人からだった。ざっくりまとめると、他人の本性に吐き気がするという内容だった。


社会がこういう状況だから、人間はどんどん丸裸になっていく。普段被っている仮面も、着飾っている衣装も、どんどん剥がれていく。いつもなら愛想笑いで顔を固定してヘラヘラ歩き回っている人も、今は必死な顔で懐に物資をかき集めて近寄る人に威嚇している。非常事態なんだからそりゃそうだろと言われればそれまでなんだけれど、それで気持ちがおさまるほど俺の頭は都合よくできていない、友人はそう言った。


そして、その友人からすれば僕は数少ない「変わらない奴」らしい。お前はいつも丸裸だよな、と言われたときは流石にそんなヘキは無いと言った。でも、言われてみて自分と自分の周りとを振り返ってみて、確かにそうだなと思えた。焦りや緊張を常に感じ、四六時中アタマを使っているという意味では2月末くらいまでの僕とは全く別人になった。いつもは全く凝らない筋肉が凝ったり、物忘れが酷くなったり、頭痛に襲われる機会も増えた。けれども、価値観だったり主義主張は普段と何も変わっていない。というより、友人の言葉を借りれば、普段から丸裸だから変わりようが無いのだ。

友人の認識を支持するなら、普段見えない隠れた価値観や主義主張こそが丸裸のその人そのものだそうで、僕らが通常時に接しているのはその丸裸が様々な服や仮面を身につけたあとの姿だそうだ。よくあるメタファだと思いつつ、確かに本当にそうだなと、周囲の人間を見て思った。ここ最近何度も、ああ、あなたってそんな表情だったんだね、という場面に出くわしている。


丸裸になった奴らが見せている人間の本性はとっても汚くて吐き気がするよ、友人は何度も吐き気という言葉を使っていた。僕はあえて質問をぶつけることにし、吐き気ということは何か不快なのかと聞いた。すると彼はしばらく考えてから、動物的でケモノのムッとする臭いが鼻をつく感じがする、それが不快、と伝えてくれた。そのあとは僕が、動物ってそもそも人間も含まれているんじゃないの、というしらける質問をして終わった。


これが同業他社の友人から聞いた話だということにも面白さがある。教育や福祉の世界ではもしかすると、ソトミとナカミを全く違う貌に分けている人が多いのかもしれない。かくあるべし、みたいな人物像に囚われて、己のソトミとナカミを引き剥がし、そうしておきながら何かあればナカミを剥き出しにして他人に攻撃もする。そういう人が結構いるのかもしれない。確かに普段からナカミもソトミも同じ僕は、同業者からやましいものを見るような扱いを受けがちだ。いや、本当はウラやましいのかもしれない。そんなことを思っていたら、やはり、電話の向こうの友人に、普段はお前ウザいけどな、と言われた。