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つなげる/断ち切る

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仕事の内容が変化した。具体的には、これまで利用者に教室まで来てもらって支援を提供していたのが、ビデオチャットアプリや電話、メールなどを活用した遠隔での支援提供に変化した。もちろん、まったくおなじ支援を提供するというのは難しい。というか、ほとんど違う。対面だったのが受話器かモニター越しになり、タイムラグはほとんどゼロだったのがいくらでも発生するようになった。視界は限定的か、全く無い状態になり、情報伝達は聴覚の担うところが大きくなった。


身体的な補助なんてできるわけがない。書字の際に後ろから手をまわして筆記具や子供の手を…支えられない。姿勢保持が難しい子供の背中を手で支えながら机上での活動を…できない。平均台の上を歩くときに手を…つないで歩けない。


でも、保護者が身体的な補助をおこなえるよう説明することはできる。そうですお母さん、お子さんに長めの鉛筆を持ってもらって、上の余ったところを持って力の入れ具合を補助してあげてください。いい感じですね、もうちょっと背中の支える位置を上のほうにすると本人が楽だと思いますよ。お子さんに固い棒を地面と平行になるように両手で持ってもらい、お父さんはそれを前から引っ張ってあげてみてください。


保護者に相談支援を行うこともできる。閉鎖された空間に家族が勢ぞろい。どんなに仲の良い家族であっても、長く続けば窒息しかねない。可愛い可愛いと思っていた我が子を憎く思うことが増えても、おかしくはない。だって、ずっと一緒にいるから。「そりゃあ、この野郎って思うこともありますよね」と共感したり笑い飛ばしたりしてくれる他人がいないから。だから、保護者への相談支援が、いま、とても必要。父や母にフォーカスして生活のヒアリングをしてみると「そういえば、最近私のことを話す機会って全くなかったかも」と涙を流し始めたりする。


僕はこの変わり果てた支援でも、価値があることを確信している。ほんのちょっと前の<当たり前>と大きく異なる今の支援を、過去のそれと比較することに意味はない。どちらも異なる前提や背景を持っているから、どちらも正しいし、それらは殆ど競合しない。でも、僕たちはどうしても過去と現在との連続性を見出そうとしてしまうし、それゆえ「あーあ」と落胆する。その落胆が、今の支援に対して<価値がない>という評価を短絡的に下してしまいそうにもなる。


過去を現在とつなげることで、現在と未来が豊かになることがある。しかし、同時に、現在と未来に絶望し、過去に縋り付きたくなることもある。つなげることと、断ち切ることを、うまく使い分けていく力が求められている。都合よく、とにかく都合よく。