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これってやる意味あるの?

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「これってやる意味あるんですか?」というのは学校でよく聞く質問。生徒が教師に、純粋な気持ちで疑問を伝えるために用いられたり、場合によっては攻撃的に用いられたりする。大気中に音声として出てこなくても、殆どの人が1度は頭のなかでこのフレーズを再生したことがあるだろう。かく言う僕だって、何万回とこの言葉を使ってきた。苦手な教科ほどよく出たし、得意な教科でも思うことはあった。教科学習に限らず、学校生活全般において不思議な慣習や作法に対してもよく使っていた。


大人になってから振り返ってみると、正直よくわからない。わからないというのは、意味があるのかどうかが、である。あの漢字を覚えて意味はあったのか、あの公式を覚えて意味はあったのか、あの校則を守り抜いたことに意味はあったのか。わからないというのが重要で、「意味がない」とも言い切れないのだ。マダ分からない、今のところ「意味がある」とは言えないが、これがいつ「意味があった」といえるか分からない。


僕は中高の成績が悪く(ほとんど最下)、優等生のゆの字もyの字もかすっていないような生活をしていた。だから、当時の勉強のほとんどが分からなかったし、今も穴ぼこだらけの土台にフラフラ立っているようなものだ。でも、それなりの生活はできているし、今の自分の生活に不満は無い(もっとこうしたい、という願いや思いは無限にわいてくる)。でもでも、穴ぼこだらけの土台を見て「ほら、まったく意味ないんだよこんなの」と吐き捨てたくなる気持ちもない。やっぱり意味があったことはたくさんあるし、(さっきも言ったように)いまのところ何の意味もない状態のものもある。


「だから「これってやる意味あるんですか?」なんてそもそも聞くのやめようぜ」と言いたいわけでもない。だって、発したくなる気持ちは本当のものだろうし、結果がどうであるかがその言動の価値を絶対的に決定できるわけでもない。むしろ、この言葉を発するようになったあたりから、行為それ自体に意味や価値を見出すような生活だけでなく、行為に連鎖する別の意味や価値を見出したくなる生活が始まっているのだろうと思う。幼児は、何が楽しいのか大人が見ても全く分からない遊びをずっと繰り返している。その子にとってその遊び自体が面白いから意味を持つが、それ以上の意味は期待されておらず、あるかないかの検証などされないし、周囲にそれを聞くこともない。


僕に「これってやる意味あるんですか?」と聞いてくるであろう、未来の君へ。申し訳ないけれど、僕の答えはきっと、殆ど曇ってなんの見通しもないものです。でも、そんなこと聞くななんて思わないし、どうぞ沢山聞いてください。