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ズラす力

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巷に溢れてますね、「○○力」っていうワード。
何だかんだキャッチーだし、まとまる感じしますもんね。

僕も最近凄く気にしてる「○○力」がありまして、それが「ズラす力」なんですが、これが結構大事なんだと思っています。

誰か言っているんですかね。Google先生に聞いてみたら、何人かの人が「ずらす力」を熱く語っていました。いずれも、マーケティング戦略的な話だったりブランドの再定義的な話だったりしますが、そこらへんも多分に関わってくるなあと納得しました。
それで、このズラす力がなんなのかというのをきちんと言わないといけないと思うので、もう少し具体の話に移ります。

僕が言いたいのは主に「教育」関連の場面でのことです。
初対面の子に、「お名前は?」とか「いくつなの?」とか「どこからきたの?」と質問したとします。これは僕からすれば全くズレてない質問です。だから、子供も「此賀奈麻絵です」とか「10さい」とか「家から、バスで」といった感じで、決まりきった回答をするでしょう。子供によっては作業中の手を止めずにこちらも見ずに答えるかもしれません。

こちらも見ずに答える人がいたら「全く、無愛想なやつだな」と思っても仕方ありませんが、そもそも「無愛想に答えやすい質問」なんだからそうは言ってくれるなよ、とも思います。
僕はそういうとき、子供が手を止める、なんならこっちを見ようと思う、そんな質問をしたいと思います。僕の注目要求度合いが高いのと、やっぱり何かしら僕が関わったメリットが相手にあって欲しいからです。

だから質問をズラします。

「名前の中のどの字が好き?」
「僕の名前とどっちの方がイケてると思う?」
「僕の歳といくつ離れてる?え?あぁそうだよね、僕は○歳だよ」
「来年の誕生日何欲しい?」
「ここに来るまでに面白そうな所とか行ってみたいところあった?」


などなど…
(考えてみて改めて難しい笑)

ズラすうえで基準にしてるのは、《自分がこれを聞かれたら思考停止してても答えられるかどうか》です。もし《Yes》となったらすぐにその質問はやめます、だってズレてないから。

ズラすことで相手が思考するように仕向けます。相手が頭を使って考えていれば、もうそれで万々歳です。

教育実践において、子育てにおいて、相手(子供)を考えさせることができるかどうかは、かなり重要なテーマだと思います。

そして、考えさせることができるかどうかに関わってくるのが《ズラせるかどうか》だと思っています。

今の一般的な「教育」や「子育て」を俯瞰してみると、考えた結果どういう答えに行き着くか、その答えのほうにばかり気持ちがいってしまって、考えることそれ自体に気持ちがいきにくい状況だと思います(変革もかなり進んでいますが)。

もちろん結果も大事ですけどね。

考えないで結果作るのはなかなか大変です。考えないと結果は生まれない、とさえ思います。

ズラす力がある人は、周りの人に考えるキッカケを与えることができる素晴らしい人だと思います。