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僕の言葉が枯渇していた件について

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久しぶりに文章を書いてみて、ああやっぱり枯渇していたんだということに気づく。枯渇していたのは言葉、書こうとしても書けず。長くなくてもいいよ、と自分に言い聞かせてみても、結局1年くらい書けなかった。


でも、正直もっと書けていないと思っていた、久しぶりに自分のサイトにアクセスして、最後の更新が意外と1年前なことに驚いた。まあ昔の頻度に比べればそもそもゆっくりになってきてはいたけれど、それでもなんとかギリギリ書いていたのだ。頑張っていたね、過去の僕。


頑張って書いているかというとそういうわけではないし、頑張らないと書けないものは書かないことにした、確か、そんな気がしているので、そもそも「頑張っていたね」という労いは無粋だ。という話をしに来たのではない、今回は言葉が枯渇していたことについて。


前にも書いた気がするが、毎度思いつきで書いているので、前に何を書いたのかはいちいち遡らなければならず、面倒なのでそれはしない。


言葉が枯渇していたことについて。


いくつか理由が考えられる。まず単純に飽きた可能性。でもこれはあまり考えられない、なぜならサイトの更新が止まっていたあいだも、色々なところで何かしらの文章を書いていたから。だから、書くことに飽きるというのはこれまでも、おそらく今後もないだろう。


次に、忙しかった可能性。これはちょっとありそう。僕は色々と同時に手を出しがちである。仕事は大きものが2つ、小さいものが1つ。それ以外にゲームをとてもよくする。1日に何時間もする。それと少しの読書の時間、これは仕事と重複するところが多い。あとは友人との飲み食い。感染症の関係で減っていたものがだいぶ戻ってきた。僕はもともと週の半分は外で誰かと何かを食べているような人だったので、時間(とお金)の大部分がこれに消えていた。すっかり元通りというわけではないが、だいぶ戻ったのでそれなりの時間にはなっている。これらをこなしていると時間が足りず、書こうにも書けなかった、というのは可能性としてはある。でも、これは僕がこのことを書こうとしたときに最初に降りてきた(というとちょっと神秘的?)、「枯渇」という言葉と馴染まない。


「枯渇」したから書けなかった、ということでいうと〈他でよく書いていた〉からだというのは想定できる。この件については直観があって、Twitterでもそれらしいことを書いた気がする。今の仕事は言葉をそれほど使わないが、〈枯渇期〉には仕事でよく言葉を使っていた。話しもするし、書きもした。そのぶん良く読んで言葉を摂取するようにはしていたが、それでも足りなかったのかもしれない。現にこうして、言葉をあまり使わなくなった途端に描き始めたわけだし。


いくつか理由が考えられる。なんてカッコつけて言ったくせに結局3つしか思いつかなかったし、全然深まらなかった。でも、とにかく僕は過去のある時期に明確に〈言葉の枯渇〉を実感していたし、その頃はどんなに頑張って捻り出そうとしても出てこなかった。時間があってもクラロワかマイクラばかりしていた、以前であればその時間にPCやスマホで文章を書いていたけれど。もしかしたら枯渇とは別軸として、言葉を書き出すこと以外のことが必要だったのかもしれない。これは4つ目の理由に数えよう。4つあればだいぶ考えた感がある、知らんけど。


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