home > boku-no-ecrits > 先生は怒るの?

boku-no

先生は怒るの?

Pocket

先生は怒るの?と生徒に聞かれた。不意に聞かれたので「怒ることに意味を感じないので怒らないよ」としか答えられなかった。かなり雑な回答。怒る系の人に怒られそう。だから、次同じことを聞かれたときに落ち着いて答えられるように、ひとまずここで整理しておきたい。整理したとて、聞かれるのが不意であればどっちみち取り乱しそうだし、「詳しくは概要欄にリンクを貼っておくので…」みたいなやりとりができたらなあと思うが、それは学校じゃまだ難しいだろう。霞が関ではPPAP(パス付きファイルの別送)が全廃になるらしいが、学校にもそういうムーブメントは来るのかしら(霞が関はPPAPを全廃ではなく部分廃止にした方が良いと思うけれど)。話が逸れた。


そもそも質問の含意を聞き忘れていた。「怒るの?」という質問には「怒らないならいいヤツ」みたいな気持ちがこめられているのか。それとも単純に怒るか否かの確認のみだったのか。聞き忘れたので、そこについては僕の推測でしかありません、悪しからず。


さて、僕はさっき「怒ることに意味を感じない」と言ったけれど、感情任せに怒らず意図を持って叱ることについては否定しない(まあどっちみち僕はメリットよりデメリットのほうが大きいと思っているので極力やらないけれども)。時と場合によっては相手に対してこちらの気づきを伝える必要があり、それが権力関係的に〈叱るー叱られる〉の関係で行われうる。これが意図を持って理性的に冷静に行われ、サレタ側が納得していれば特に文句はない。


意図。怒る人はどんな意図をお持ちなのだろう。お餅。間違った言動を止めたいとか正しい言動を教えたいとかそういう感じだろう。仮にそうだとしたら、間違った言動を止めるだけでとどめるのはやめた方がいい。サレタ側は〈やっちゃいけないこと〉は知れるが〈やったほうがいいこと〉を知ることができない。だからまた同じ言動を繰り返す。むしろ必ずやるべきは正しい言動を教えること。これだけでいい。緊急性があるような危険な事態であれば間違った言動を止めることも同時におこなってよいと思うが、そこまで切羽詰まっていなければ、正しい言動を伝え続けるだけで間違った言動は自然と消えていく。


正しい言動を伝えても変わらない、なおらない、だから怒るしかない。そういう人は一度内省を挟むとよい。テーマは「その〈正しい言動〉は誰にとって正しいのか」で。言動に変化が見られない場合、たいていその提示しているものが〈こちら側の論理で正しい〉とか〈社会通念的に正しい〉程度にとどまっている。こんなこと言ったら怒られるかもしれないが、僕の経験上、易怒的な人は押し付けがましいことが多い。そしてこの押し付けがましさは、〈相手にとっても正しいか〉という視点での相対化があまりなされていないから生じているのではないか、とも思っている。だから内省を挟むことを提案している。


いやいや、でも、ちゃんとキツく怒ったらもう繰り返さなくなったよ。ちゃんとツボを捉えてバシッと怒れれば間違った言動はビタッと止まるよ。こんなことを言ってくる人もいるかもしれない。そういう人は、(たぶん言ってもやらないだろうが)相手の納得度合を確認してみるとよい。仮に納得が全然なされていなくて、キツく怒る人の前だけで態度を変えるような変化を遂げてしまっている場合、それはキツく怒る人にとって好都合になっているだけで根本解決には至っていない。また、相手がしっかり納得している場合は、そもそもキツく怒らなくてもちゃんと納得できる説明を出来ているということなので、そこにさらにキツさを上乗せする必要は無い。人は予想以上に簡単にトラウマを抱える。子供時代に大人に怒鳴られた経験はものすごく鮮明に記憶されたりするのである。内容がきちんと伝わっていて納得もしているようであれば、穏やかな雰囲気のなかで教えられる工夫を身につけると良いと思う。


あと、いつも言っていることと重なるが、他人のことはそんな簡単に変えられない。変化が起こる場合、ほとんどそれは変化する側の自発的な変化。こっちが何かしたから、ではなくて自分で変わろうと思ったから変わる。その変わったタイミングで因果関係を歪ませて、こっちがこれしたから変わった、みたいな解釈をし続けると、どんどんと〈人は変えられる〉とか〈人は分かりあえる〉みたいな思考に凝り固まってしまう。何度でも言うけれど、人はそんなに簡単に変えられない。だから、最初から「変えてやろう」なんて考えないほうがよい。


はい、だから怒りません、以上。