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すれ違う親子

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子供が育っていくうえでは、特定の誰かと親密な関係、強い絆のようなもので繋がれた経験が必要…みたいなことを本で読みました。

これ、本当にそうだなと思います。

しかも、その本で言われていたことがかなり目ウロコでした。ざっくりまとめると、絆は二者の間で構築されるものであって、たとえ絆がうまく築けていない親子などを見ても、それを親が悪いとか子供が悪いとか言うのは意味がない(言ったところで何の解決にもならない)、という感じの主張です。

よく、コミュニケーションがうまくいかないときとかに、私コミュ障だからとか、人付き合い悪いんです、みたいな言葉が飛び交うけれど、あれもAさんとBさんの間の関係性に生じている困難さであって、Aさんがコミュ障だとかBさんが人付き合い悪いとかっていう言い方はナンセンスだよなって思っています。

Aさんが特定のコミュニティでしか通じない言葉ばかりを使うような人、例えばネットスラング(「草生えた〜」とか「涙目」とか「小並感」とか、僕もなかなかついていけません)を使いまくる人だとします。そうすると、Aさんは同じネットスラング多用系の人たちとは円滑にコミュニケーションを取れるけれど、そうではないBさんとはなかなかやりとりがうまくいかないかもしれません。この場合、AさんとBさんには明確なコミュニケーション方略の差があるだけで、どちらか一方が批判されるようなことはあってはならないのです(もちろん、Aさんに「Bさんと話すときはネットスラングを言い換えて使ってみて」などと提案するのは大いにありです)。

これと同じことが親子の関係や、それ以外の《子供と特定の誰かとの親密な関係》にも言える、たしかに考えてみればそうですよね、関係性が特殊なだけで、その場でおこなっているのはコミュニケーションですから。

親子関係を「特別な関係だ」と思うことは悪いことでは無いと思います。ただ、それが親を思い悩ませたり子供を絶望させたりするような結果を生むようなら、そのときは一旦、あえてドライに「人と人との関係に変わりない」と思うことも必要なのかも…と思います。