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大学は行かなくていいっていう話

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「大学ってやっぱり行かないとダメだよね?」、高校生の進路相談に応じているときに言われた一言。このセリフはきっと3秒に1回くらいの勢いで漂っている(平成29年5月の高校生の総数が327万人(文部科学省より)、3秒に1回セリフが発せられると1日合計28,800回、日本全国の高校生のうち、0.88%(113.6人に1人)の高校生が1回ずつ言っていれば達成できる数値)

このセリフに対して世の中はいろんな持論を展開している。だからいまさら僕が持論を展開しなくたって、スマホでもなんでも使って色々漁ってみればいい。それなのに、おそらくもう色々と調べ尽くしてるだろうに、その高校生は僕に、現役で国立大に進学してストレートで修士まで進んだ僕に「大学ってやっぱり行かないとダメだよね?」と聞いてきた。

ということは、多分言ってほしいんだろう、この僕に「大学は行かなくていい」って言ってほしいんだろう。だから僕はその期待通りに「大学?行かなくていいよ別に」と答えた。

誤解の無いように先に言っておくけれど、僕は修士まで研究を続けて良かったと思っているし、大学に入って良かったと思っている。やりたいことをやりたいだけやり続けることができたし、人生まるまる捧げたいような「問い」にも沢山出会えた。タイミングをみて博士課程にも進学しようと考えているし、大学との交流も意欲的に続けている。

でも、大学には別に行かなくてもいいと思っている。大学は、行きたくないのに無理して行くようなところではない。大学は、初等中等教育と並ぶ教育機関(高等教育)でありつつ、れっきとした学術研究機関である。教育機関であることを意識して意欲的に学生に歩み寄る研究者も最近になって増えてきたが、歩み寄られて研究に取り組むようでは長続きしない。研究は小中高で確立した「勉強」という学習スタイルだけでは成り立たない。

苦労してやり遂げた(論文を出せたという意味)研究についても、その先の人生に活用できる人はごくごく僅か。研究内容どんぴしゃのライフワークに出会える人は本当に少ないし、研究を通して得た様々な考え方・捉え方・深め方を方略知として転用するにはセンスがいる。学部4年間を振り返ってくださいと言われて「部活・サークル」や「インターンシップ」と並べて研究の話ができる人なんてほとんどいない。頑張って研究(ごっこ)をやり遂げてもなお、大多数の人がその研究固有の内容知レベルで途切れており、自分の血肉になるほど落とし込めてない。

あまり好きじゃない、というか大嫌いな言説だけれど、「就職するには大学に進学した方がいい」と言われることもある。これこそ本質的でないし、こんなこと言い続ける大人にどこからどう話せばいいか分からない。数値で見たところで定性的な部分が何も分からないけれど、検索エンジンで「大卒 就職率」「高卒 就職率」と入力すれば簡単に数値が出てくるので、一応調べてみる。大卒の就職率は98.0%(平成30年3月卒業者)で、高卒の就職率は98.1%(平成30年3月卒業者)、調べるのに1分もかからなかった。あくまで標本調査で求められた数値だが、そうであったとしてもこれだけ差が無いのにどうしていまだに「就職するには大学に進学した方がいい」となるのだろうか。

もっと嫌いな言説まで手を伸ばそう。「同じ就職でも、いい会社に入れるかどうかで違うじゃん」的なもの。「いい会社」かどうかなんて人それぞれの尺度だから、もはや取り合う必要もないレベルの難癖だが、こんなくだらない言説でもおどらされて不安になる人はいるだろうから一応以下に私の実体験による反例を示しておく。

先述したとおり、僕は国立大学の大学院をストレートで修了し修士号を取得している。就活は馬鹿馬鹿しいと思っていたからそれらしいことは全くしていないが、特に悩むこともなく「いい会社」に出会い、入社できた。従業員2000名規模の東証1部上場企業、これだけでも世間的に「いい会社」だろうか。この会社に僕を誘ってくれた採用担当者は大学中退、入社の手続きを懇切丁寧にサポートしてくれた方は僕と同い年で社歴7年目(当時)の高卒、教育学修士の僕が対人支援者として尊敬する指導員も高卒。どなたも僕のはるか上をゆく、尊敬すべき先輩社員だ。「いい会社」に入るためには大学に行く必要があるなんて、口が裂けても言いたくない。

意地悪な気持ちになってきたので非難への批判はこれくらいに。僕は高校生に「なんのために大学に行くのか、そこを考えよう」と提案した。これは別に大学進学に限った話ではない。手段と目的を混同してしまうことさえ避けられれば、だいたいのことはうまくいく。手段ばかりに目がいき、そればかり磨いたところで、目的を持たない手段など微風で容易に吹き飛んでしまう。

結局、至極平凡な結論にたどり着いて終わったのだけれど、本当にこれ以上でも以下でもないし、それだけこの平凡な結論は充分に的を得ているということでもあるのだろう。