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生き急いでいるのかもしれない話(1)

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僕は配属されて4ヶ月で準管理職の候補者に選ばれて、その10ヶ月後には準管理職になった。
今の会社は新卒で入社したから、それまでは学生。いわゆる「社会人」という分類に入るようになってから2年経っていない(1年8ヶ月)。その僕がもうすでに準管理職になっている(何度もうるさい)。

世の中を見渡せば、入社2年目の社員が店長になるというスピードは割と普通のことだと思う。僕が身を置く教育/福祉業界でこのスピードを出せるのはなかなか少ないこと(塾などははやそう)かもしれないが。

とにかく、まあまあ「スピード登用(出世ってのはあまり好きじゃない)」なんだろうな、と、周りの盛り上がり具合とか僕への声かけを振り返るとそう思う。それで、そういう周囲の反応の中にはこんなものも混じってくる。

きちんと下積みしないで準管理職になるのって、なんか生き急いでいる気がする。


え、生き急いでいる、の?
僕は生き急いでいるの…か?


確かに僕よりも優秀なスタッフは大勢いる。その人たちに比べて、「下積み」が充分かと言われればまったくもってそう思わない。今日だって管下スタッフ(この呼び方は好きじゃないが、わかりやすいので渋々)に何度も助けられたし、それが悪いとも思わない。でも、逆に聞いてみたい。「下積み」っていつまでやることなの?何をもってして終わりとなるの?

いや、ここで切り返してしまっては「生き急いでいる」という指摘をきちんと受け止めきれていない気がする。それこそ、文字通り「生き急いでいる」。もう少しじっと考えなくては。

「生き急いでいる」という言葉が言いたいことはおそらく、「急いでいる」という言葉の悲観的側面なのだろう。僕の《生き様》を速度のメタファーでカテゴライズするなら「速い」部類に入り、なおかつそれは好ましくないことである、と。この捉え方で僕に言いたいことは、「先に進む前にもう少しやることあるんじゃないの」とか、「無理し過ぎてカラダ壊すんじゃないの」とか、「あとでツケがまわってこないように気をつけてね」とかそういったことだろう。

もしそうだとしたら、僕は心の底から「心配してくれてありがとう」と思いつつ、「大丈夫、なんとかやるし、止まっているよりずっとマシだから」と答える。「もう少しやることがある」んだとしたら進みながら補うし、「無理し過ぎる」のはそもそもキャパシティ的に不可能(そんなに頑張れない)だし、「ツケがまわって」きたら素直に受け止める。これらの言説は別に「生き急」ぐことと天秤にかけなくてはならないようなことではない。

周囲が「生き急いでいる」と言わざるを得ないこの生き方に、僕は僕なりの二つの哲学を持っている。一つは《知識・技能は状況に埋め込まれている》という考え方で、もう一つは《出来ることを可能な限り増やして死にたい》という考え方である。

(2)へ続く…