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生き急いでいるのかもしれない話(2)

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前回の記事はこちらから… 生き急いでいるのかもしれない話(1)

僕は「生き急いでいる」のか、ということから話が始まっているわけだが、その回答になることを信じて、一つの考えを提示したい。

それは、《知識・技能は状況に埋め込まれている》という考え方である。これはレイヴとウェンガーという人が提案したSituated Learning を参考にしている(あくまでアイディア段階で参考にしている程度なので、正統的に踏襲しているわけではない)。

ざっくり言えば、僕は《特定の知識・技能は、それが発揮される状況と切り離すことは難しく、むしろその状況に身を投じて実践的に習得されるべきである》と考えているのである。

例えば、車の運転技能を習得するとしたら、それは安全に配慮され整備された練習場内で行われるよりも、実際の公道で行われるほうがよっぽど効果が高い、ということである。これはある程度学習体験のある人であれば頷けることだと思う。実際に運転免許を取得してから走るのは公道であって練習場ではない。練習場には危険運転をするドライバーはいないかもしれないが(新米暴走車は除く)、公道にはスマホ片手に飛び出してくる歩行者がいる。造られたセットの中で学ぶよりもホンモノの状況で学んだ方が学びが促進される、と考える。

いや、もっと突っ込んで言えば、《対応する状況下》でないと学びは生じない、とさえ思っている。遠慮がちに「効果が高い」とか「促進される」などと表現してみたが、《知識・技能は状況に埋め込まれている》のであり、それを知識・技能だけ取り出して学ぼうというのは不可能だ、と考えている。

運転技能の例で言えば、練習場内で習得された知識・技能は《練習場内を運転するための知識・技能》であり、その延長線上に公道での運転技能は乗ってこない。気をつけて線引きをしたいのだけれども、練習場内を運転することが公道を運転するための技能を習得する経験として不完全であるということを指摘しているのではなく、仮に公道での運転技能の技能の部分だけを取り出して練習場内に持ち込んだつもりでもそれはすでに練習場内という状況に埋め込まれた知識・技能として完成してしまっている、ということを指摘しているのだ。

この考え方が根本にあるので、特定の役職でないと体験できないことは、とっととその役職になって体験して学ばないといけない、と考えるのである。Aという役職の知識・技能を向上するためには、Bという役職のまま研修だのロールプレイングだのに参加しても仕方なく、Aになってしまったほうがよい。恐ろしいのは、研修を受けたりロールプレイングを実施したりして体験したつもりになっている人や、体験させたつもりになっている人の存在である。ヘッドマウントディスプレイ越しに見るヴァーチャル空間の方がよほど高精度なのでは…というのは言い過ぎかもしれないが、切り離された《状況》が置き去りを食らっている学習スタイルがあまりにも増えている。

このようにして経験と経験の間に《状況》が生み出す溝のようなものを実感している僕は、学びたい知識・技能があれば少しでも早くその知識・技能が埋め込まれている《状況》に身を置きたいと思っている。それがもしかしたら、周りから見たときに「生き急いでいる」というふうに見えるのかもしれない。

すると今度は「少しでも早く」という言葉がどこから来ているのかについて言及する必要があるわけだけれども、そのことと強く結びついているのが《出来ることを可能な限り増やして死にたい》という考えである。

(3)へ続く…