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熱りが冷めるまで

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人間はいつでも死ぬことが出来る。でも死なない。電車がホームに入ってくる。ホームドアは無い。タイミングが合えば死ぬことが出来る。でも死なない。台所に行けば包丁が置いてある。手にとって、自分の肌に当ててみる。ひたりと冷たい。野菜室にある野菜よりもずっと柔らかい肌。ぶつりといけばそれまで、死ぬことが出来る。でも死なない。横断歩道で青信号を待つ。国道。心許ない速度ではあるが、当たりどころが悪ければきっと死ぬことが出来る。でも死なない。

飢え、戦争、災害。苛酷な日々を強いられている人たちに比べて、君たちは平和で安全なんだからそんな簡単に死にはしないよ。そんなことない。この日常の至る所に死が転がっている。平和でも安全でも死ぬことは出来る。でも死なない。死なないから死んでいない。本当は、本当に、それだけのことなんだろうと思う。

僕が静かに聞いている隣で彼女はさらさらと事実を並べていた。僕がどのような表情でどのような相槌を打ちながら、あるいは打たずに話を聞いていたのか。彼女が沈黙を始めてからその過去を必死に振り返ろうとして、諦めた。彼女の視線は真っ直ぐに自分の机に落ちている。落書き。机に自分で描いておきながら、今はそれを終わりから丁寧に消していた。

僕の口から出てくる言葉を待っている。それは間違いない。質問。選択肢としては無難だけれど僕が物足りなさを感じている。同意。2人の間に墜落して終わるだろう。無視。別の話題で紛らわしても、きっとそれ通りに進んで、そして不本意に片付く。期待に応えようとすればするほど、思考から言葉が消えていった。僕は結局、うん、とだけ深く唸って長考の態度を示すにとどまった。

図星なんじゃない。図星という言い方じゃないな。正しい、その通り、そんな感じ。だからあなたは何も言わない。でも、そんなあなたに答えるとしたら、それが正解。何か返事が欲しかったわけではなくて、ただ染み込んで欲しかっただけ。この話が正しいから仕方なく染み込んでいく、そのさまをあなたが見せてくれるだけで良かった。子供だからって言って誰も正しさに正直に向き合ってくれない。私が幼いかどうかと、言っていることが正しいかどうかは、本当は綺麗に別々の箱の中に入っているもので、お互いを邪魔したりしないで共存するはずだと思っている。だから私が習った算数が正しいなら、2×2で4通りの結果があるはず。それが、幼いから間違っていて、幼くないから正しいという2通りに収束させられてしまう。それが凄く嫌だ。今日はそれが言いたかった。でも、言ってみて思ったのは、結局こういうことなんだと、ただそれだけだった。どういうことか。それは、あなたは4通りの人生を生きているけれど、2通りの人生を生きている人とはまた別の箱に入っていて、あなたがいたことで4通りの人生が私とは別に存在することが分かったけど、それは2通りの人生を取り除くのとは全く別のお祝いごとだったということ。結局また憂鬱な月曜日はいつも通り日曜日の次の日にやってくるんだって、今はそう思ってる。

それからさ、と言って彼女はいきなりスマートフォンの良さについて語りだした。こういうところは年齢相応の若さが感じられる。少し安心した。スマートフォンのせいで漢字が書けない人が増えていることを否定的に語る国語科教員の話だった。僕はようやく、その話を通して今度は何を伝えたいの、とだけ口にした。久しぶりに話したから後半で噛みそうになった。いじわる、これは本当にこの話ってだけ。彼女は若干頬を赤らめて私を笑顔でにらんだ。私はスマホに助けられてる部分もあって、ほら、これ読んでみて。机に黒鉛で「熱り」。書き終わって見上げる彼女。僕は「ほてり」と答えた。彼女は目を見開いて、確かにそれも読めそう、あ、読む読む、さすがだね国語科の先生の卵だもんね、とスマートフォンで調べながら答えた。もう卵じゃないのだけれど、それについては触れなかった。私はちなみに「ほとぼり」のつもりで書いたんだけど、知らなかったでしょ、私も知らなくて、スマホでほとぼりって打って予測変換で出てきて知ったの。これってスマホのおかげだって言えるでしょ、言い切って満足したのか、さっき取り出したスマートフォンの画面に目を落としてチャットを流し見ていた。

彼女はなぜ「ほとぼり」と打ったのか。僕はそのことばかり気になっていた。