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レジリエンスはもう不要かもしれない。

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最近気になっていることがあります。それはレジリエンスの必要性についてです。このご時世、レジリエンスって必要ですか。

そもそもレジリエンスってなんですか。一時期流行っていましたね、色々な人が色々な言い方をしています。Wikipediaの文言で充分だと思うのでここにはそれを載せておきます。

心理学におけるレジリエンス(resilience)とは、社会的ディスアドバンテージや己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義される。

だそうです。これです、これがいまも必要なのかということが気になっています。

必要ですかと疑問に思っているということは、不要かもしれないと思っているわけです。そう思うに至るエピソードが最近多く、困惑しています。例えば、僕がいま提供している個別最適な教育プログラムなんてまさしくそれです。子供が困難な局面に立ったとき、その困難さを個の因子と環境の因子とに分けて考えます。個の因子とはざっくりいえばその個人の資質や能力、特性などといったことが関係しています。環境の因子とはその個人以外の全てが含まれます。座っている椅子や過ごしている教室環境、部屋に入る前にかけられた言葉までも入ります。その際、環境の因子への介入にかなりの工数を割く傾向にあります。また、個の因子に目を向けるくらいなら環境の因子に…という暗黙の雰囲気もあります。実際、この二観点のバランスを取るのはとても難しいことなので、それゆえに環境に偏りがいっている可能性もあります。実際に、〈やりたいと思えない課題でも一定時間向き合うことができる〉とか〈辛いことがあったら周囲の大人に助けを求めることができる〉などの個人の能力を習得させようとすると、「やりたくないことはやらないでいいと思うんですね」とか「そもそも辛いことに出会わないように周囲が調整できればよいですね」と言われる現状があります。こういうことが重なるにつれて、じゃあレジリエンスってもう不要なのかもしれない、と思うようになったわけです。

ちなみに僕はレジリエンスをとても必要なものだと思っています。もちろん、これまでに比べて根性論とか精神論の類は減りましたし、そういうものに頼らなくても環境側が快適にしてくれるようになりました。でも、だからといってレジリエンスまで不要になるとは思っていません。というより、レジリエンスを根性論や精神論の類と一緒にして過去に捨て去ろうとしている人は何か大きな誤解をしているように感じます。レジリエンスってそういうことなのでしょうか。

どうでしょう、レジリエンス。必要か不要かという聞き方をするのは暴力的だと思っていますが、皆さんはどうお考えでしょうか。