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年齢だけじゃないという話

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保護者の方とお話ししているとよく聞かれるのが、「うちの子は◯◯は何才くらいで出来るようになりますか?」という質問です。◯◯には、「3語文で話せる」とか「ボールが投げられる」とか「自分の名前が書ける」などの具体的な行動が入ります。自分の子供ができなくて周りの子供ができることが分かったりすると、どうしても気になるようです。

僕はこの保護者の疑問は自然に持つものだと思っています。否定する気も全くありません。いまできていなくても大丈夫と思うのはなかなか難しいことですし、そう思うのが健全なのかどうかは状況によると思っています。違いを認める、個性を尊重する、言葉でいうのは簡単ですが、それで〈ある程度のことができて欲しい〉と思う気持ちを否定するのは暴力的です。

でも、疑問を持つことは自然だと思いつつ、そればかりに囚われていたら保護者の方の気がもたないだろうとも思います。5才だからこれができていて7才になる頃にはこれができるようになるはずで…見通しは立ちますが、年齢だけを指標にすると子供達の発達の多様性に振り回されてしまいます。定型発達的に3才でできるはずのことが4才になってもできない、というようなことは子供達の発達ではよくあることです。

年齢だけじゃない、という話をします。例えばこんな事例があったとします。

A君は4才2カ月。普段は1人で遊んでいることが多く、自宅でも幼稚園でも長時間1人でいる。辛そうな様子はなく、「輪に入れない」というよりは「関心がない」様子。語彙は年齢相応かそれ以上に発達しており、識字も平仮名、片仮名、数字、ローマ字と読める。対人でのやり取りは少したどたどしい様子で、単語〜2語文程度で返すことが多い。幼稚園の先生からは「直接A君に話しかけるときちんと指示を聞いてくれますが、3人以上の人数になってくると指示しているときに他のところを見ていたりすることが多いです」と指摘されている。他のところを見るときは、「音のする方や動くものを追いかけたりしていることが多い」とのこと。このA君のお母さんが気になるのは、人と関わるより1人でいることが多いこと。

今まで見てきた色々な事例から切って繋いで作り上げた例ですが、改めて見ると本当にありそうな事例です。このA君の場合、「音のする方や動くものを追いかけたりすることが多い」ことを取りあげて〈そもそも人に興味がないのか〉と思われたり、言葉の表出がほかの同年代のお子さんに比べてたどたどしいことを指摘して〈対人コミュニケーションに困難さがあるのかもしれない〉と思われたりすることがあります。そういった憶測の根底に流れるのは、本来この年齢だったら…という推論です。子供を理解する手立ての1つとして年齢による推論を活用するのは良いですが、保護者が我が子におこなうと、愛の強さゆえに負のエネルギーを溜め込むことも多いです。

僕はこういう場合、年齢ではなく学習歴の観点を取り入れて質問をしてみます。ここでいう学習歴とは、単純に〈ある人間の生まれてから今に至るまでの学習行為の履歴全般〉を指しています。そして、学習行為というのは〈いわゆる座学のようなものに限らず、生きるうえで必要なスキルを獲得するための行為全般〉を指しています。つまり、A君は今までどんな環境でどんなことを経験したのか、どんなことに力点を置いた人生を送っていたのかなどの情報を集めるわけです。そうしてみると、

「上の子が手のかかる子で、Aがどこで何して遊んでたかあまり覚えません」

「うちの家族自体が2人とも働いていることもあってヘトヘトなので、土日はみんなで家にいたり、公園に行って子供が遊んでるのを見てたりする過ごし方が多いです」

「不自由しないように玩具は色々な仕掛けがあったり作り込めたり小学校低学年くらいまで遊べるものを買ったりしています」

などのエピソードが出てきます。ここで僕は仮説として〈そもそも人と関わる必要性のない生活、人と関わることが必須ではない生活を送っているのではないか〉と考えます。仮にそうだとしたら、人と関わることを身につけることはA君にとってなんのメリットもありません。ただでさえ生まれてからまだそんなに年月が経っておらず、自分ができることも少ないなかで、メリットが多くないものの獲得の優先順位が上がるはずもありません。それより日々の自分の生活に必要なスキルを先に獲得していくわけです。もしかしたら、1人で遊ぶときには良く文字を目にして、それを読めることが楽しさに繋がったのかもしれません。そしたら年齢相応かそれ以上に文字や語彙を獲得しているのも納得です。

当たり前の話ですが、人間は年齢さえ重ねればスキルを獲得できるというわけではありません。スキルを獲得するためにはそれを支える生活経験が必要です。その観点で学習歴を振り返ってみると、意外なところに成長のきっかけが転がっていたりするのです。