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ストレッチし続けることをどう価値づけするか

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僕の職場でも,「働き方改革」や「心理的安全」などの言葉が頻繁に飛び交うようになりました。準管理職として,僕もこれらの言葉と真剣に向き合う日々を送っています。そうした日々の中で,むくむくと1つの課題が大きくなってきていて,最近はそれに頭を悩ますことが多くなってきました。その課題とは,「ストレッチし続けることをどう価値づけするか」です。

学習者の置かれている状況を示す言葉として,コンフォートゾーン,ストレッチゾーン,パニックゾーンという言葉があります。本来は学習者に対して用いられる言葉ですが,枠組みの似ている労働や仕事に転用されることも多いです。言葉の通りですが,コンフォートゾーンとは快適な状況を指し,高い水準で心理的安全が保障されます。毎日見通しのたっているルーティンワークなどをこなす場合はこのコンフォートゾーンにあたります。ストレッチゾーンは,コンフォートゾーンほど心理的安全が保障されておらず,場合によっては失敗のリスクも生じてくる状況です。前例はあるが自分がやったことの無い仕事を任されたり,普段のルーティンに改善を加えて新しいものを試験運用する場合はストレッチゾーンと言ってよいでしょう。パニックゾーンはその名の通り,リスクの高さゆえにパニックになってしまう状況です。自分の処理能力を超えたタスク量を短い期日で任されたり,未経験の業務の現場監督を急に任されたりすると恐らくパニックゾーンに陥ると思います。

この三つの状況のうち二つ目のストレッチゾーンにいるあいだが,人間がもっとも学びある時間を過ごせると言われています。考えれば分かることですが,コンフォートゾーンでは心理的安全こそ保障されるものの,新たな挑戦や変化への対応などに直面することがなく,学びの機会がほとんどありません(無いと断言している人もいます)。逆にパニックゾーンまで達してしまうと,リスクの高さゆえに冷静に学びを感じ取ることなどできず,殆どの場合失敗のみで終わってしまいます。よって,ストレッチゾーンに身を置き続けることが,学び続けるためには必要なわけです。

でも,このバランスを取るのが非常に難しいわけです。「働き方改革」の推進や「心理的安全」の保障をおこなっていくと,コンフォートゾーンに永住する人たちが出てくるわけです。一時的にパニックゾーンでの傷を癒すためにコンフォートゾーンにいるのは良いのですが,居座ってしまうと長期的には学びの機会を失うという意味で高リスク状態に陥ってしまいます。ここのバランスをうまくとり,ストレッチし続けることに価値を見出せるようにしていくことが非常に難しいのです。

学び続けたいかどうか,成長志向がどの程度あるかどうか,こういったところがもしかしたらボトルネックになっているのかもしれません。