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成長することを志向する思考

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成長することを志向する思考はどのように形成,増強されるのでしょうか。また,成長することを志向していないように見える人たちは,本当に志向していないのか,それとも志向することに何らかの困難さが生じており,志向できないだけなのでしょうか。

生まれながらにして人は成長したいと願っている,とまで言ってしまうと極端な発想だとは思います。でも,僕自身が成長し続けることを中心に生きているがゆえに,どうしても<成長することを志向する>ことを大前提として他人に押し付けてしまうことがよくあります。僕は,自分の考えを「他の人もそう思っている」として押しつけがちだからです。

だから非常に困惑しています。最近,自分の周りで成長することに疲弊している人,成長することを中止している人,もはや成長することを拒んでいる人を相手にする機会が多いからです。

2年前まで学生だった僕の人生は,そのほとんどの時間を<志向しなくたって成長する段階の人間>たちに囲まれて過ごしてきたのだと最近感じています。どういうことかと言うと,子供やX学生(X=小,中,高等,大…)と呼ばれる段階の人たちはそもそもの心身の成長が常に生じていて,プラスで学習による成長も得ているというふうに考えると,子供やX学生というのは志向するとかしないとかそういうことに限らずある程度は勝手に何かしら成長していると考えることができるということです。

そう考えると、心身の自然な成長がひと段落した大人たちは自分で成長を志向して獲得していく必要があるわけです。寝て起きてを繰り返しても背が伸びず、毎日ルーティンワークだけで生活していたら心揺さぶられる体験もほとんどありません。今僕が「大人になるってどういうこと?」と聞かれたら、「成長を自分で作る必要が出てくること」と答えるかもしれません。

成長が付加的な存在になるということです。それはたしかに「そこまで手を伸ばしてられない…」となる人も出るかもしれません。でも、その後回しが長期的に見たときに停滞感や閉塞感を生み、成長に着手できない状況と閉塞感との板挟みに苦しむことになるわけです。

成長が付加的な存在で、自分で生み出していく必要があると認識することが最初のステップだと思いました。それができてはじめて「成長」と自分とを切り離し、両者の関係を見直すことができ、どう付き合っていくかを考えることができます。そして、ようやく成長することを志向する思考が芽生えてくるわけです。

次に考えるべきは、〈成長が付加的な存在であることを認識するために必要なこと〉になりました。