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ある日の頭の中

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先日、僕が普段どんなことを考えながら過ごしているか知りたいと言われたことがあり、そういえばどんなことを考えているんだろうかと自分の思考に意識を向けて記録してみました。通勤経路で見かけた老人と犬があまりにも異質で余所者だったので一日中気になっちゃった話です。

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老人が犬と歩いている。この道を10年使っていて初めて出会った。いつもと同じ時間に、同じ横断歩道。はじめましての老人と犬だけが視界の中でヴィヴィッドに存在している。おぼつかない足どりの老人、リードで繋がる犬も休み休み歩いている。思わず自転車をこぐのをやめ、老人と犬の姿を目で追った。歩行者用の信号機が点滅をはじめる。ここの信号機は点滅から赤に変わるまでが短いことを知っているから、僕の身体は老人のほうへ向いた。赤に変わる、自動車が両側から生えてくる。老人と犬は向こう側の歩道の端に寄って休んでいた。

自転車を駐輪場に止めていつもと同じ道を駅まで歩く。同じ道を歩いているはずなのに、いつもと違うものが目にとまる。こんなところにウエディングドレスが飾られていたのか、この店には生簀があったのか。そのたびに老人と犬を思い出す。彼らがあの場所にいたことは僕の日常にとっては間違いだった。毎日当たり前に視界に入ってくるものたちが10年かけて作りあげてきた調和を、彼らは一瞬で破壊した。朝であること、部屋着のような身だしなみ、ほとんど静物と言ってよい歩行速度、どれをとっても本来であれば僕の日常に組み込まれてしかるべき存在である。すれ違う自動車は変数のまま組み込めても、あの老人と犬はどう考えても定数として存在するべきだった。気づけば胸騒ぎで体温が上がっていた。

仕事を終えて帰りの電車に乗る。身体を座席にあずけきって寝ている老人を見て、朝の老人と犬を思い出す。仕事の間は忘れていた胸騒ぎが再び僕を茶化す。平静を装うも取り乱し、手に持っていた折り畳み傘を落とした。隣に立っていた女子高生が笑顔で拾ってくれた。目と目が合うのを避けて無愛想な受け答えをしてしまい、気まずさから次の駅で車両を変えた。全てがぎこちない。普段なら滞りなく進む時間が、ギリギリと違和感を訴えているように感じた。こうなると全てが不自然に見えてきて、手すりを掴む手にも力が入る。

自転車で帰るのを諦めてバスに乗る。バスは自転車で帰るのと経路が異なり、僕はようやく安堵した。バスが避難シェルターのように思えた。このまま落ち着いて座っていれば、自然と家にたどり着く。この雨の中を散歩していることはないだろうと思いながらも、外の景色に目をやるのは控えることにした。座席の隣に立つカップルが、レシートを見ながら会計の間違いを指摘し合っている。損をしたわけではないようで、お店にきちんと伝えるべきかを話し合っていた。いいよ、とあっさり言い切る彼氏に僕は心を乱された。

老人が犬と歩いていた。彼らが本当にそこにいたのかどうか、今ではそれすら分からない。存在しないかもしれないものに恐れを抱いて、僕は一日を浪費した。誰かに「あそこに老人と犬がいますか?」と一言聞けば良かった。そうすれば一人で悩むことも無かっただろうに。そう思ってからそれが何の解決策にもなっていないことに気づいた。聞いた相手が実体のある他者であるのか、それとも誰かに確認をしたいと願うことで僕が作った虚像なのか、その区別はどうにもつけられない。この思考を止めることができるのは僕自身しかいない、そう分かって胸を撫で下ろし、無事に家に帰ることができたかなと声に出してから眠りについた。

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以上。