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【再掲】「コノユビトマレ」組織論

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この記事は、2017年1月30日に僕が代表をしていた大学サークル「codolabo」のHPに掲載したものです。 僕の考え方の一つの重要な柱になっているので、今回、こちらに再掲しました。 今後も少しずつ、いろいろなところに散らばっている記事を再掲のかたちで集めてきたいと思っています。
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キーンコーンカーンコーン

授業の終わりを告げるチャイム。僕らにとっては「終わりある楽園」が始まったことを知らせる合図。今回の楽園はどのように過ごそうか。あれもしたいしこれもしたい。そういえばこのまえやりかけのあれも残ってる。いろいろなやりたいことが一気に頭の中を駆け巡る。そんなとき、教室の出口で大きな声があがる。「鬼ごっこすーるひーと、コーノユービトーマレ!」高らかに挙がった友人の人差し指を目指して、我先にとみんなが駆け寄る。今日の楽園の過ごし方は、鬼ごっこで決まりだ。

子供の頃のこんな記憶が、今の僕にも、とても身近なものとして感じられる。誰かが声をあげ、皆があつまり、次のチャイムでまた解散する。「終わりある楽園」を、「今回限りのメンバー」で遊び尽くす。そこにいるみんなが、もれなくやりたいことをやっている。中心には常に「やること」が存在していて、「コノユビ」にとまり続けているあいだだけ、その場で役割をもつ。鬼になれば全力で追いかけ、他のものは全力で逃げる。何か他の面白いことが見つかれば、楽園の終わりが訪れる前に「やーめっぴ」で離脱できる。恨みっこなし、もしかしたらズルズルと複数人いなくなるかもしれない。遊びが成立しなくなるまで人数が減るかもしれない。でも、そうしたらそうしたで、また次のことを考えればよい、ただそれだけのことなのだ。こんな記憶が、感覚が、身近であり続けるからこそ、僕のやることはいつも「コノユビトマレ」で始まる。

頭のいい人たち(オカタイ人たち?)はこういうつながりのことを「タスクフォース」と呼んだりするらしい。確かにカッコいい。名前の雰囲気だけですでにカッコいいのに、由来が軍隊の任務だとかなんとかで、男ゴコロがくすぐられる。でも、どうだろう、「コノユビトマレ」もなかなかカッコよくないか。僕らが昔からやってきたこと、子供がみんな経験すること、「コノユビトマレ」。グループやチームなどの概念を超え、これからの時代をまとめ上げるのは「コノユビトマレ」なのだろうと思う。