(今回のシリーズはスマホでの読みやすさを意識して、試しに改行多めで投稿しています)
本シリーズの過去記事↓↓
私、肉体、幽体①
ー 2つの《界》 ー
2つの《界》がある、というとなんだか難しい話が始まりそうですが、実際は至極シンプルです。いまここで考えたいのは、「対象となる事象に対して人間がどう接するのか」ということです。
ある事象が生じた際、僕たちはその事象に対してはじめに《関心がある》か《関心が無い》かの判断をするだろう、というのが2つの《界》の由来です。そのまま《関心界》と《無関心界》と命名しました。
例えば、僕はゲームが(今のところ)大好きなので、新しいゲーム機の発売が発表されたらすぐにネットニュースなどを漁ります。僕にとって〈新型ゲーム機の発売が発表された〉という事象は《関心界》に属します。
一方で、料理を作ることには(今のところ)興味が無いので、新しい調理器具が発売されても「へえ」と思って終わります。〈新しい調理器具が発売された〉という事象は僕の《無関心界》に片付けられるのです。
事象が《関心界》に属するか《無関心界》に属するかは、誰がその事象に直面するかで異なり、事象と《界》が一対一で固定されているわけではありません。
先ほどの例で言えば、〈新型ゲーム機の発売が発表された〉という事象は僕にとっては《関心界》に属するものですが、ゲームに興味関心の無い人にとっては《無関心界》に属する事象です。《界》は人と事象との関係性によって決まるわけです。
さらに言うと、同じ人でも好みや志向が変われば、事象が属する《界》も変わります。僕は子供の頃、キノコを食べることに関心がありませんでした(椎茸は嫌いでしたが)。そもそもキノコが入った料理を食べる機会が少なかったのと、食べても味がよく分かりませんでした(椎茸が嫌いだったのも、味ではなく噛んだときの食感が理由でした)。それゆえ、関心を持つ機会すら得られなかったのかもしれません。
それが、居酒屋で舞茸の天ぷらを食べるようになってからガラリと変わりました。まず舞茸にはまり、その次に(たまに出会える)松茸の香りに衝撃を受け、今では椎茸すら好んで食しています。キノコたちが《無関心界》から大移動してきたのです。
さて、《関心界》と《無関心界》の区別を得た僕たちは、次に《関心界》の詳細な分析をおこなうことにしました。《関心界》に属しているからといって全て同じ接し方をするわけではなく、何かしらの意識的(または無意識的)な区別をおこなっているだろうと考えたからです。
もちろん《無関心界》にも一定の役割と分析の余地は残されていましたが、そこへの着目と着手は他日に譲ることにしました。
次回へ続く…