home > boku-no-ecrits > アウトソースされる子育て

boku-no

アウトソースされる子育て

Pocket

子育てがアウトソースされている。こんなことを書いたら誰から何を言われるか分からない。道行く人に強襲されるかもしれない。されたらされたで、「サイトの知名度はそこまでになったのか…」と笑顔で事切れる気がするが。

違う、子育てのアウトソーシング。幼児教育・保育の無償化が10月から始まる。労働生産力の高い世代は子育てしないで働いてくれ、もう働ける人が少ないんだ、とでも言うような政策だが、これで助かる人がかなりいるのも事実。働きたいから預けたい、預けたいけど金は無い、金は無いから働きたい、働きたいけど子供が預けられない、こんな循環から解脱できるチャンス、ではある。そのかわり3〜5歳児までね、そこは気をつけて。

子育てを他の人に頼んじゃダメよ、そう言うベテランママにお会いした。彼女は障害者領域で大型施設の施設長までされているバリバリのなんちゃらウーマン。自分の子育てを反省しながら、他人に預け頼むような子育ては、特に乳幼児のあいだは御法度だとお話しされていた。愛着形成理論の話も持ち出して、「発達障害とか困りごとが多いとか言うけれど、それって本当の根本のところでは私たち親がちゃんと子供に向き合ってこなかったから起きてることだと思うのよ」と。僕が言ったら即刻大炎上だろう、当事者としてママをやってきた人だから言えるキワッキワの発言だ。

じゃあ、なんで頼むのだろう、逆に。子育てをアウトソースするのは何故だろう。お金が無いから?時間が無いから?だとしたら、お金があったら、時間があったら子育てをインソースするのだろうか。お金は無償化でばらまいてみますよ、10月から、3〜5歳だけだけど。それでインソーシングが進むのだろうか。そもそも子育ての常勤専従化は国家戦略の目的論的に組み込まれているんでしたっけ。国家まで広げなくても、子育ての常勤専従化は親子の理想のカタチで相違ないのですか皆さん。

カッコウは托卵というスタイルで子供が育つ、いわば孵化前保育。ヒトという種にも同様の変化(進化なのか退化なのかは分からんが)が起きているのでは、なんて考えたら不思議な気持ちになった。

みんな頭で子育てし過ぎなんだよな、と思う。我が子が目の前にいて可愛いと思ったら抱きしめればいいし、自分の時間が欲しくなったら離れればいいし(もちろん放棄にならない仕方で)、向き合うのが怖くなったら誰かに相談すればいい。

子育てがアウトソースされている。それが何故なのかは当事者に聞いてみないと埒があかない。自分たちでやるべきだと一方的に言うだけではお互い別の言語で話しているような状況だ。ちなみに僕は…アウトソースされたようがどうだろうが、シンプルに「そこに愛はあるんか」みたいな話なんだろうと思っている。そしてその愛は、親と子が共視の状態で捉えていればそれでよい。どうやるか、何をやるかなんて個々人でニーズが違うんだから押しつけてくれるなよと思う。だから出来ることなんてせいぜい話を聞くことくらいだ。勉強するのも考えや信条を持つのも否定しない、でも、まず話を聞いてからそれらを総動員して考えよう。自戒を込めて。