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どんぐり

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ある日の朝、僕は電車に乗って座席を探していました。先頭車両まで進んできて、二人分の空席を見つけました。周囲はすっかり埋まっているのに、そこだけぽこっと二人分。ラッキー、そう思いながら肩にかけていたリュックを手前に滑らせ、座る準備をしながらゆっくりと座席に近寄りました。近寄ってみて座面を見て、一瞬僕は固まりました。

…どんぐり?

二人分の座席の片方に、一つのどんぐりが置いてあったのです。座面、座るところ、お尻が付くところ、茶色いティアドロップ型の固形。見た瞬間には他のものだと思いましたが、光沢があったことと、怪しいものほどじっくり見てしまう性格とが相まって、二秒後にはどんぐりだと同定できました。

これは面白い、そっとしておこう、そう思ってどんぐりの隣の席に座りました。席に座ってから、これは物凄く意地悪な気持ちだなと思いました。どんぐりはそんなの気にせず、優雅に横たわっていました。

七人掛けの椅子の、端がサラリーマン、二番目が僕、三番目がどんぐり、四番目がサラリーマン。立っている人はまだ車両の中に三人程度、座席は全て埋まっていて、優先席が五席空いています。

左からサラリーマンが近寄って来ました。左に右に視線を動かしており、座席を探している様子です。僕の隣にはどんぐりがいますが、背が小さく優雅に横たわっているため、まるで席が空いているように見えるのでしょう、サラリーマンは私の隣の席に目をつけました。進路変更、着陸態勢、右手に持っていた鞄を両手で抱えるように持ちなおし、視線は座席から逸らさずに自分のお尻を座席に近づけるように捻り出しました。こうやってじっくりと目で追うと、座席にたどり着く直前の人間はなかなか可愛らしいポージングになるのですね、ぷりっとしています。

そのサラリーマンが思わずタッチアンドゴー。厳密に言えば着陸前に再浮上しました。ぷりっとしたお尻は急遽スクワットを強いられ、ギュッと引き締まって離れていきました。どんぐりが勝ったのです。

次に来た女性も、私服の男性も、みんなどんぐりに負けて去っていきました。みんな一度は視界に捉えていたので、視認したうえで座らないという選択をしたようです。右側には戦いに敗れた戦士たちが次々と集まり、なかには再戦を申し込みたいのか熱烈な視線を送り続けている人もいました。どんぐりは横たわったままです、出会った当初よりも威厳があるように見えたのは気のせいです。

どんぐりの敗北は突然訪れました。年配の女性の方が近寄ってきて、どんぐりを床に払い落としたのです。わずか一秒ほどの出来事でした。

そのあとのどんぐりのことは知りません。払い落とされてからは全く興味が失せてしまい、僕はむしろ敗者に思いを馳せたからです。なぜ払い落とさなかったのだろう、と。払い落とさなかった人たちは何を考えていたのでしょう。何かを気にしていたのでしょうか、何かを避けたのでしょうか、何かを…分かりません。どんぐりに勝利した女性は、鞄から取り出した手帳をペラペラとめくっていました。