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嬉しさを強める

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目の前にご飯にあるとします。ほかほかのご飯、湯気の立つ味噌汁、ふっくら焼けた焼き魚。これを食べます。食べるという行動をします。そうすると、美味の体験を得られたり、満腹の感覚を得られたりします。そうすると、また食べたいと思います。

ご飯が現れて、それを食べて、何かしらの満足感を得る。満足感が得られたからこそ食べるという行動が繰り返されるわけです。不味かったり、食べても満足できないものであれば、食べるのをやめたり、他のものを食べようとしたりします。

行動に伴って良い結果や喜ばしい報酬などがもたらされると、「またやろう」と思えるというのは有名な話です。犬だって人の手の上に自分の手をのせた後に餌が貰える経験を何度もすれば自発的に手をのせるようになります。「お手」と言われたから手をのせるのではなく、手をのせたら餌がもらえるから手をのせるのです。

行動に伴う良い結果や喜ばしい報酬は、その「良さ」や「喜ばしさ」を程度問題として変更することができます。先ほどの例で言えば、同じほかほかのご飯でも、はらぺこの状態で食べるのと満腹の状態で食べるのとでは得られる体験や感覚が異なります。詳しく説明する必要はありませんね、普段の自分の経験を振り返ればよくわかると思います。

「同じ玩具なのになんで先生が遊ぶと子供は楽しそうなのでしょうか」と質問されることがしばしばあります。答えは、程度問題の変更を意図的に生み出しているから、です。僕は子供をギリギリまで焦らします。求められたらすぐに渡すのではなく、渡す条件をつけたり、理由もなく理不尽に拒んでみたりします(意地悪にならない程度に、です)。そうすると、いつも遊んでる玩具でも、ようやく手に入れられた宝物のように見えるようです、目をキラキラさせて喜びます。

充足すること、不足を無くすことは悪いことでは無いと思います。でも、恒常的な充足はそれはそれで毒だと思っています。たまに出会います、親から色々なものを与えられていて何も不自由してそうにないのに不満げに行動問題を起こし続ける子供。原因は色々と考えられるので全てをこの話で解決させるつもりはありませんが、充足しているところにさらに与えられても「もういいよ」となるのでしょう。しかも、本当に欲しいもの、して欲しいことが他にあれば尚更です。

是非、ジャストタイミングを見極めてみてください。同じもの、ことでも嬉しさが強まります。