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戻れない空間が16:9の世界に広がる

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最近カメラを買いました。最近といっても、かれこれ3か月ほど前で、だいぶ使いこなせるようになってきました。買ったのはFUJIFILMのX-T4というカメラです(興味ある人がいるかは分かりませんが、私が動画作品を見るときいつも「これなんのカメラで撮ってるんだろう」と思うので、一応笑)。スマートフォンについているカメラで撮る以外は全く経験が無かったので、絞り値だのシャッタースピードだのISOだの色々な要素を調整しながら、その場のその瞬間を記録にしていくということに挑戦しています。


それで、動画を撮っていて、それを見返して編集していて思うことがあるのですが…


動画って、全然うまく撮れませんね。「うまく撮れた!」という実感はまったく持てない。何かいい風景や珍しい出来事を目の前にしたときに、「お!」っと思ってカメラを起動してファインダーをのぞきこんだり液晶を見たりしてみるのですが、肉眼で捉えたときのエモさを超えられずにいつも興醒めしてしまいます。こんなこと僕がわざわざ文にしなくても、いままでいろいろな人がさんざん書いていることなんだろうと思いつつ。


プレミアプロを開いて頑張ってトリミングしたり色合いを変えてみたりあれこれ加工して、これじゃない、こうじゃない、もっと暗かった、もっと青かったと。自分の眼で見た記憶が風化してしまう前にそこにたどり着こうとするんですが、奇跡的に良いところまでいっても、結局たどり着くことはないです。


うまく撮れないのではなくて、僕の理想が高いのかもしれないな、とも思いました。動画に限らず、文章でも絵でもスピーチでも写真でも、僕はいつも「僕が作りたかったのはこれではない」と悲しい気持ちになって終わります。外部評価で捉えるという考え方を試したときもあったのですが、どんなに周囲の人に「良かったよ」と言われても、それで「よかったんだ」とはなりません。


だから、結局僕が撮った動画って、〈もっとよく撮りたかったと思う程度の、でもどっちみち戻ることができない貴重な空間〉という感じなんです。だから扱いに困るというか、残っていても喜びきれず、でも消すのは勿体ない感じがします。そんな動画が1GB、また1GBとどんどん増えていきます(始めた当初はFHD動画になるとデータ単位がギガバイトな感じもびっくりでした)。


プロのカメラマンや映像監督ってどんな気持ちで仕事を進めているんでしょう。進め方というより、区切り方が知りたい、というほうが正しいかもしれません。永遠に自分の理想の画が再現できず、「これでいっか」と踏ん切りつけないと終われません。でも、書いていて今思ったのですが、そういうものなのかもしませんね。理想はあるけどたどり着けない、だから撮り続ける、という感じなのかもしれません。なんかカッコイイなと思う一方で、果てしなすぎてクラクラします。


そんな世界に自ら足を踏み入れてしまったのかと思うとおぞましいです。