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やるはいっときの感謝、やらぬは一生の感謝

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職場が異動になりまして。役割は変わらず教室長、チームも変わらずです。僕から見れば、既存のチームに新しく上長として参入する感じ、チームから見ればクルーは変わらず船長だけ変わる感じです。


異動してからしばらくの期間は、前任の影との対話が主な業務になります。

アナタはこうしていたのね、僕はこうするよ。僕が知らなかったことをアナタが教えてくれたね、有難う。

どちらが良いか悪いかではなく、総合して良い方向に向くように、ムカシと今の継ぎ目を馴染ませていきます。ある程度の経験値で自信を持ち始めていた仕事も含めて、本当にこれが最適なのか?ということを振り返る良い機会になります。人によって考え方は様々だと思いますが、僕は定期的に異動がある今の環境に学びを得ることができています。


さて、ここまでとは関係ない話をします。


最近、僕の拠点に助っ人として来てくださった別拠点のスタッフが、「今の上長が1番やりやすい、指導員は指導にだけ専念できるようにしてくれていて、他(の業務)は全てその人がやってくれている」と話してくれました。

確かに、僕らの仕事は「指導員」という役職名でありながら様々な業務をこなす必要があり、ゆえに「指導に集中できない」といった悩みが指導員から出てくることは日常茶飯事です(学校の先生と似ている部分があります、学校の先生のほうが大変そうですが…)。そこの部分を取り除いてくれるその「今の上長」はとても素敵な方だなと思いました。


でも、直後にその助っ人さんは「まあ、指導以外何もできない人が生まれるんですけどね」とも話していました。


難しいなと思いました。確かにそうだなとも思いました。実際、僕も過去の拠点で「こばたくさんがやってくれていたから、自分でやるってなると大変!」みたいなことを言われた(言わせた、が正しいかもしれないですね)ことがあります。


気持ち良いんですよね、やると感謝されます。ありがとう!助かった!ってすぐに言ってもらえますし、現に業務も滞りなく進みます。でも、それこそ新しい知識・技能の習得機会を損失している可能性があるというわけです。

でもでも、やらせてみようと思うと、精度が気になったり時間がかかることにソワソワしたりしてしまうわけです。それで折角頑張ってやってくれたのに、相手は申し訳なさそうに「次は私がやらないほうが良さそうですね」と苦笑い。それでこっちはさらに申し訳ない気持ちになって、「こんな思いするくらいなら自分でやったほうがみんなハッピー」と思ってしまうわけです。


このスパイラルからどう抜け出すか、どう上手く委託していくか、こういうことを考えていかないと、チームを温室で腐らせるような人間になってしまいそうです。


「僕がやっておくよ!」の一言で得られる〈いっときの感謝〉に飛びつかず、「これやってみて、サポートする!」で得られる〈一生の感謝〉にいかに手を伸ばすか。教育者を名乗る以上、このヒリヒリする感覚を楽しめるようになりたいと思うわけです。