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いわゆる〈下ネタ〉について

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下ネタ、Wikipediaの説明だと、「笑いを誘う排泄・性的な話題のこと。〈中略〉現在ではもっぱら艶笑話について用いられ、必ずしも笑いを伴わない猥談や露骨に性的な話を指すこともある。」とのこと。調べてみてはじめて知ったけど、もともとは「笑いを伴」うのが前提だったんだ。そりゃあ嫌がる人いるよな、納得。


なんの話かと言うと、下ネタ、皆さんはどう付き合ってますか?という話。定義によってどれを下ネタとするか、どこから、どこまでが下ネタかは違うと思うけれどそれは今はなんでもいい。それぞれにとっての下ネタという認識で大丈夫、というか下ネタの定義は他人に押し付けられて決まるものではなく自分で範囲を決めるものだと思っている。という前提で、僕がこの文章で取り扱う「下ネタ」の定義は、「笑いを伴わないものも含めた、排泄・性的な話題」とする。


僕は今のところシスジェンダーでヘテロセクシャルな男性。小学校は共学、中高は男子校、大学からまた共学、新卒一社目は職場の6割〜9割がシスヘテロ女性の環境で過ごした。だから下ネタの取り扱いについては、それぞれの環境に合わせて都度変えていく必要があった。当たり前だけど、下ネタの取り扱いについてなんて被教育段階で教わる機会は無かった。自分で話題に出してみたり、他人が話題に出している状況に居合わせたりするなかで「こういうものか」と独学的に学んできた。これは僕に限らず他の人もおそらくそんな感じだろう。それゆえ、気づいたら他人を傷つけたり居心地悪くさせたりしたことも何度もある。


僕自身は下ネタを話されることについては寛容なほうだと思う(寛容 is the best. とは思っていない)。むしろ、好んで自分からそういう話題を振ることもある。だから、周りに下ネタを振られること自体は全然どうでも良い、傷ついたこともない。このことが僕の目を曇らせて、自分自身の発信を制御しきれない事態を生む。最近はそこにかなり自覚的になってきて、これまでバリバリ話してた相手であっても、定期的に話して平気かどうかを確認するようにしている。


いやいや、そもそも話さなければいいだろう、と思う人もいるかもしれない。でも、それは違う。ここで僕が使っている「下ネタ」は先に定義した通り、笑いを伴わないものも含む。つまり、排泄や性的な話全般。そうなると、話す必要がある話題もある。例えば、準管理職時代であれば管下スタッフの相談内容が下ネタを伴う場合。下ネタは心身の状態に直結する話題が多いため、相手から話してくれる場合、とても貴重な情報になる。もちろん、こちらから聞き出すことは無い(予告をしたうえで定期的に確認をするなどはある)。あとは友人などの悩みでも下ネタは出うる。なにより、自分自身そういった悩みを他人に相談したいこともある。


こうして考えていると、「下ネタ」という言い方がまずいのかしら、とも思えてくる。性に特化して言えば「セクシャルな話題」などと言うのも妥当かもしれないが、ちょっとおしゃれすぎてよそよそしい気もする(これは完全に個人の感覚)。


下ネタに男性特権的な何かを感じるのも不愉快極まりない。僕はシスヘテロ男子なので、自戒を込めてあえて言わせていただくが、男子の下ネタは下品で汚い(ことが多い)。上品な下ネタというのは不思議な言い方かもしれないが、下ネタのあり方、捉え方を一元的(下品路線)にせず、多様な下ネタの可能性をもっと考えていくべきではないかと思う。


何をこんなにアツく語っているのやら。でも、僕にとって下ネタは、それだけ大事なものだったりする。