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偶像

僕の頬を涙が走り去っていった。涙の重みに気づくのに数秒かかって、したたり落ちる涙を手で拭いそこねた。答辞を読み上げた生徒は鳴りやまぬ拍手に包まれている。写真を撮るのが役目だということをすっかり忘れて、僕も控えめに拍手を送った。


卒業式は短く終わった。社会を脅かし続ける感染症の影響はこの式にも出ている。出席できるのは卒業生、その保護者、在職教員のみ。来賓がいないので、お祝いの言葉がほとんど省略され、プログラムはさらさらと進んでいった。僕の記憶では、来賓の祝辞なんてものはほとんど必要ない。偉そうな大人が自分の気持ちを満たすためにスピーチするか、年長者として叱咤激励という名の説教をするくらいだ。たまに文字に起こして何度も読み返したくなるようなスピーチに出会うが、引き当てる期待よりもはずす絶望のほうが大きい。感染症に感謝するなんて不謹慎極まりないだろうが、正直その気持ちが強い。


涙が通ったところがカサカサしている。風が頬に当たるたび、自分が不用意に涙したことを思い出す。


ものすごくきれいな答辞だった。言葉遣いは丁寧で、本人の気持ちも上手に反映されている。それでいて独りよがりに陥らず、関係各所への感謝もちりばめられていた。今年はいろいろとイレギュラーなことが多く、一言で言えば不満足、そんな一年だっただろう。でも、その気持ちが綺麗に昇華されていて、一文一文が透き通ったガラスのように美しかった。その美しさに僕は打たれたのだろう、件の涙がその証左。なんて素敵な文章だろうかと、耳に残る音を必死に手繰り寄せた。音から蘇った言葉を反芻した。それでも、拍手を送るころにはもうすっかり冷めきっていた。とことんきれいである、ということに異様さを感じた結果の消沈、だと思う。


時間が経つにつれ、答辞は僕にずぶりずぶりと突き刺さっていった。僕に巣食う偏見が、答辞のきれいさと読み手の若さとのギャップを糾弾する。おかしいぞ、あれは出来すぎている、なにかがおかしいぞ、頭のなかで疑念の声がこだまする。


眼の前に本人が現れた。近くで見ると小柄で、年齢相応のあどけない笑顔を見せていた。その笑顔を見て直感した。あの答辞を書かせたのは、僕らだったんだと。


彼女はまっすぐ素直に、僕らの呼びかけに応答してくれていた。彼女の答辞がきれいだったのは、僕らがきれいさを求めたからだ。僕が彼女に特別な異様さを感じたのは、彼女がずば抜けた応答力を見せたからだ。彼女に限らず、ここにいる一人一人が僕らの呼びかけに応答しようとしてくれている。そしてそれは当たり前のことにされていて、誰も呼応の関係を崩そうとしない。そのことに気づいた僕は、両脚をガクッと震わせた。滞りなく進んだ卒業式、きれいに整った答辞。そのすべての良さ、美しさが、一気に僕を不安にさせた。


僕たちは取り返しのつかないことを彼女たちにしてしまったのかもしれない。そしてその事実はこの美しい卒業式をもって顕在化し、封印され、明日からまた始まる日常に霧消していく。