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ペガサスと電気が僕を見守る。

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音楽の時間、みんなで歌うのが少し難しかった。みんなと一緒にそろえて歌っていても、歌い終えるまでに何度も頭を飛び出してしまう。みんながスッと静かになったときに、僕は止まらず次の歌詞を歌ってしまい、直後にみんなが揃った声で隠蔽してくれていた。音楽の先生は僕を名指しせずに「歌いたい気持ちを強く持ってくれているからだと思うんだけど、ちょっと頭が出ちゃっている人がいます」と助言。みんなは単純に先生の言い回しが面白くてクスッと笑う。誰も僕を責めていないことはしっかり僕に届いていた。先生もみんなもとても優しくて、だから凄くしんどかった。


家に帰ってランドセルから出した楽譜とにらめっこした。僕は自分を苦しめるペガサスと電気を睨め付けた。ペガサスは4分休符、電気は8分休符。子供心で4分休符はカッコイイ形だと思っていた。その当時の僕の知識で羽の生えた一番カッコイイ生き物はペガサスだった。電気というのはおそらく街灯のことだったと思う。こいつのほうが短くて厄介だなと思っていた。そう思っている時点で、僕は休符や音符の支配する領域を相対的な間ではなく、絶対的な時間の経過で捉えていたんだろう。だからペガサスは長いやつで電気は短いやつ、下ボタンと呼んでいた全休符は超長いやつだ。


先生が「いい?「ウン」と心の中で言うのよ。練習するときは「ウン」と声に出してごらん」と言っていたのを思い出した。悔しい気持ちで涙を流しながら、「ウン」と声に出しながら歌の練習をした。ペガサスや電気が「ウン」になれば、僕は簡単に歌を歌えた。歌詞のあいだに自分で「ウン」と書いて、慣れてきたら黒く塗りつぶして読んでしまわないように工夫した。


今は歌を歌うことは殆ど無く、楽譜にペガサスや電気を探す機会も無い。でも、僕は今もペガサスと電気に見守られていると感じることがある。音楽の先生が教えてくれた魔法の言葉の「ウン」も、日常的によく使っている。合唱で飛び出していた頭を、いまではコミュニケーションの場で良く飛び出させてしまうからだ。


歌だけでは無かった。僕は対人コミュニケーションにおいても、間を置くのが難しい。自分では休符を置くことが出来ず、相手のリズムを踏み越えてしまうことがよくある。自分は楽しくてどんどん前に進んでいて、でも相手ははるか後方でドン引きして立ち止まり、なんてことが良く起こる。相手に一息つく間も与えずにラッシュのように畳みかけてしまう、それも自分は普通に話しているつもりで。


最近になって「ウン」に助けられたことを思い出した。それで、ものは試しと思い、普段の会話でも心の中で「ウン」と言うようにしてみた。すると、言うまえに比べて格段に調子が良くなった。しかも、実はペガサスや電気が日常生活にもあふれていて、それを僕は無視していたんだということに気づいた。休符が無いほうが詰まっていてお得じゃないかと思っていたけれど、それでトラブルを生んでしまうことを考えると、むしろ間があったほうが良いのだろうとも考えられた。


とはいっても、まだまだ上手くいかないことも多い。歌だって相当練習が必要だった。でも、ペガサスや電気が僕に間を提供しようと見守ってくれている。そのことに気づくことができただけでも、心はずいぶんと穏やかになれた。