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つくっているのはあなた

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実はいま、中学校で国語を教えている。こういうご時世なので、なかなか挨拶などに回れておらず、ほとんど初めて「facebook」やっててよかった、と思った。だからまだ知らない人もいる、僕とSNSでつながりのない人、で、お世話になった人。そういう人たちはこれも見ていないだろうから、まあここで書いたところで伝わることはないだろう。でも一応、僕はいま中学校で国語を教えています。


で、言いたかったのはそれではない。言いたかったのは、中学校で国語を教えていることではなくて、その授業で自分の撮った写真や作成したデザインなんかを見せているということ。見せている、写真と、デザイン。デザインというとその世界の人にへたくそな言い方だなと言われそうなのでもうちょっと具体的に言うと、企業のロゴだったり、Tシャツの模様だったり。を、デザインといま呼んでいた。それで、見せているっていうのはほんとうに文字通り、そのまま。PCをHDMIケーブルでテレビに繋いで、それで見せている。写真も、デザインも。


つくっているのはあなただよ、というのを伝えたい。僕が中学校で教えているのは、国語のなかでも特に日本語文法。週1回の授業で日本語文法だけに特化した授業をしている。そんな学校が実は意外とある。しかも、現代口語文法。もうみんながしゃべれるやつ。英語でもなく日本語古典でもなく、現代の口語。いちいち覚えなくたって学ばなくたって、みんなが感覚的にどうにかできている、毎日、友達と話すときに、「あれ、どうしよう、口語文法の知識が足りないから今なんて言えば伝わるか分からない」なんてことは起きない。でもみんなまじめに僕の話を聞いて、ノートに板書を写している。律儀に、多分。いいよそんなに真面目にやらなくて、もうすこし、6割くらいのやる気と4割のやらぬ気でいい、そう心では思っているけど、でも授業でそれは言えない。だから、伝えることと、伝え方を工夫して、僕がみんなの10割のやる気を6割に減らして、4割のやらぬ気で他教科のため、普段の生活のために体力を温存するようにと念じている。その、残った6割で伝えたいのが、つくっているのはあなただよ、ということ。


写真を撮るのも、デザインを作成すのも、絵を描くのも、文を書くのも、やっているのはあなた。PCでもなく、カメラでもなく、筆でも、鉛筆でも普通紙でも画用紙でもない。だから、あなたが何をどうしたいのかがはっきりしないと、びっくりするくらい簡単にピントは、ぼける。イメージセンサーが凄くて、瞳でも後頭部でも鳥でもオートフォーカスがばっちり追ってくれるよ、いまのカメラは。でも、そういうことじゃない。その作品の主題は、あなたじゃないとフォーカスできない。


今は技術が本当に進んでいて、使い方が分かればできないことなんて本当に少ないんじゃないかと思う。そしてそれはたぶん本当にそう。でも、できないことが少ないのであって、何ができたらいいのか、何をしたいのかは技術のほうにはおねがいできない。過去のあなたや、あなたに似た人たちについて熱心に勉強(機械学習)して、これがいいかも、そうしよう、ね、そうしよう、って言ってくる技術はあるけど、そのレコメンドはあなたやあなたに似た誰かの過去のちぎり絵でしかない。


日本語文法の授業は、言ってしまえば、家電量販店で店員に商品の説明を聞くのと同じ。このカメラはね、高い画素数を活かして高画質な写真が撮れて、しかも暗所でもオートフォーカスがばっちり被写体を逃さなくて、動画を撮影するときも4Kでクロップ無しで撮れるんだよ。みたいに、機能や技術の説明があるだけで、それを使って結局何をどうしたいのかは、あなたしか知らない。し、あなたしか考えられない。


何をどんなふうに撮りたいの?って店員に笑顔で聞かれて、あ、そうか、僕は何を撮りたいかについて考えていなかったんだ、と思うことがあったら、それこそまさに、僕が授業で取り扱いたいこと。だから、僕は授業で僕の作品を見せて、僕の捉えた主題、切り取った主題を見せて、みんなは何が見えていて、何を見ようとしているのかい?と問うている。それが先、そのあとでようやく文法、すなわち技術の話になる。そういうこと。